【まち紹介】小田原/栢山

2018年6月20日

前回記事でもご紹介したPraline (プラリーネ)が位置する小田原市栢山についてご紹介します。

 

 

 

栢山はこんなところ

 

  

城下町、小田原北部に位置する栢山。

初見では読みづらいですが、「かやま」と読みます。

https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%A0%A2%E5%B1%B1%E9%A7%85/@35.2945267,139.0844957,12.96z/data=!4m5!3m4!1s0x6019a6e9fbf15fb5:0xb88047b7befdc371!8m2!3d35.3106252!4d139.1425833?hl=ja

酒匂川のすぐ西側に広がる足柄平野に位置します。

 

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富士山を始め箱根、丹沢の山々に囲まれた、田園風景が広がる気持ちのよい場所です。

 

 

 

水路のまち

このまちの大きな特徴は何といっても水路の多さです。

酒匂川の水流を利用したとてもクリーンな水で、鯉やメダカなど魚が多くみられます。

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 底が見えるほど透き通った水です。 

 

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観光用に放し飼いにしているというより、上流の酒匂川より迷いこんできたようです。

 

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せせらぎの音で癒されます。

 

 

二宮尊徳(金次郎)の生地

なぜこんなに水路が多いかというと、もちろん田んぼへ引くためなんですが、この地で生まれ育った二宮尊徳(二宮金次郎)によって水路網が整えられたからです。

ちなみに二宮尊徳の生家は移築され現存しています。

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二宮尊徳 生家

https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BA%8C%E5%AE%AE%E5%B0%8A%E5%BE%B3%E7%94%9F%E5%AE%B6/@35.3030113,139.1437797,17z/data=!3m1!4b1!4m7!3m6!1s0x6019a69437b54423:0xb67f7ecd303cd372!8m2!3d35.303008!4d139.1453728!9m1!1b1

 

 


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栢山のまちには二宮尊徳ゆかりの史跡がたくさん残されています。

 

 

二宮尊徳の生い立ち

中流農家のせがれとして1787年に生まれた二宮尊徳でしたが、度重なる酒匂川の氾濫によって、田畑を失いまた病気により父母を失いました。

そのため、16~18歳ごろまで叔父の二宮万兵衛のもとで育てられました。

勉強熱心だった二宮尊徳は、昼間は農作業に励み、夜は勉学に努めていました。

しかし、夜勉強する間に貴重な菜種油を使うことに否定的だったため、叔父は勉強するなと叱ったそうです。

 

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△栢山の民家で見られる二宮尊徳像(家計を助けるために、論語等を読みながら薪を小田原の城下町まで売りに行ったそうです)

 

そこで、尊徳は菜種を一握り分だけ入手し、堤防で育てることにしました。菜種を収穫し油を抽出することに成功し、勉強を続けることができたそうです。

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△「少年勉学の像」@善栄寺

 

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△菜種を育てたといわれる堤防

 

 

また、田植えの際に余った稲苗を植え、用水掘に植えて一俵分のコメを収穫することができたともいわれています。

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△こちらが捨苗を栽培したといわれる跡地です。

 

 

勉学に熱心だった尊徳は、20歳のときに独立し自分の田畑を開墾するだけでなく、武家への奉公をしながらかつての二宮家の土地を買い戻していきました。

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△二宮本家の屋敷跡には記念碑が建てられています。

 

洪水で流されてしまった本家の再興も成し遂げます。

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△二宮本家跡地ちかく

 

小田原藩家老、服部家の再建も手掛け小田原での名が知られ、小田原藩主の分家宇津家のある下野桜町領の復興にも携わり栢山の家や財産を売り払って尊徳自身も桜町へ移住してしまいました。


ついに尊徳の名は幕府にも知られ、日光神領の復興にも携わることとなりましたが、荒地を開墾し成果をあげつつも病に倒れてしまいました。

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△本家跡近くの善栄寺に尊徳の墓はあります。

 

 

報徳仕法

 

報徳は「勤労、分度、推譲」の三原則を基本とします。

【勤労】は生活の基本であり自助努力の大原則ですが、同時に知恵を働かせて労働を効率化し、社会に役立つ成果を生み出すという自覚を重視します。
【分度】は経済的には、収入の枠内で一定の余剰を残しながら支出を図る生活、経営の確立。計画経済の基本です。この余剰が、明日の、来年のそして未来の生活、生産の発展と永安のための基礎資源となります。
【推譲】は、分度生活の中から生み出した余剰、余力の一部を、各人が分に応じて拠出します。これが報徳資金になり、相互扶助、公共資本あるいは弱者、困窮者救済に宛てられ、家政再建、町村復興、国づくりが進められます。尊徳は桜町領復興に当たり、小田原の田畑家屋敷、家財を全て売り払い、それを仕法の資金として推譲しました。


引用元:報徳博物館HP http://www.hotoku.or.jp/sontoku/hotoku/

 

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△豊かな土壌を育むと同時に大きな災害を与えてきた酒匂川

 

 

全国の農村に大きな影響を与えたこの報徳仕法という考え方のベースには栢山での幼少~青年時代の経験が大いに関わっています。

 

幼少時代、荒地や堤防沿いに菜種や捨て苗を栽培した経験から、荒地を開墾すると税金が掛からず、100%自分の蓄えになることを経験しました。

現地や法律等を理解し、その中で最適な手法を生み出していきました。これが【勤労】です。

 

荒地を開墾しながら、年々収穫量を増やしていき、蓄えを増やしながらついには二宮家の田畑を取り戻すことに成功しました。これが【分度】です。

 

苦労しながら取り戻すことができた二宮家の家屋や田畑を売り払って、藩主より依頼された下野桜町領の復興資金に充てました。これが【推譲】です。

 

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 栢山はこの報徳仕法の思想の原点となった地です。

ぜひ歩いて、その痕跡を確かめてみてください

【参考】http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/corridor/sontoku/

 


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