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【まち紹介】平塚/中原御殿
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今回、ご紹介する「まち」は、今日から3日間(7/5~7)、たいへん賑やかになる平塚です。
日本一といわれるほどの七夕飾りの豪華さとしても有名で、湘南の夏の訪れを告げる行儀としても地域に根付いています。
虎ノ門へ続く道、中原街道
「中原街道」は皆さん、聞いたことがあるでしょうか?
虎ノ門から五反田を通り、多摩川を丸子で渡り、川崎(中原区)、横浜の中山を過ぎて、厚木基地付近を迂回し藤沢用田、寒川を経て、田村の渡しで相模川を渡り、平塚市中部に位置する中原に至る道を言います。
ご覧の通り、ちょうど東名高速と新幹線の間を通る道です。
余談ですが、川崎の中原区は中原御殿へ至る道に位置することから中原区と命名されたそうです。
徳川将軍家の別荘、中原御殿
徳川家康の鷹狩という名の視察のための宿泊所が防衛の要となる各地に建てられました。
そのうちの1つが中原御殿です。
中原御殿跡を描いた「中原御宮記」(天保10年(1839)9月)平塚市博物館蔵 平塚市指定文化財
http://www.hirahaku.jp/web_yomimono/hirareki/hirareki02.html
ご覧の通り、松林で覆われています。
中原御林といい、一部は現存しておりベルマーレの拠点でもある総合公園になっています。
地名としては御殿という名称が残っていますが、跡地は現在、中原小学校と石碑が残されているのみです。
南原に残る裏門
この御殿跡から商店街を抜けて10分ほど歩いていくと、南原という地区になります。
交通量の多い中原地区より落ち着いた農地が点在するエリアになります。
そんな南原には善徳寺というお寺がありますが、その山門に御殿の裏門が使われています。
平塚の地勢
地図をよく見てみると、大磯丘陵の隣にある平塚は関東平野の始まりの場所です。
そのため、広大な関東平野を治めるために、入口でもある平塚を重要視したと考えられています。
詳しくは、こちらの宝善院という平塚宿のお寺さんの記事をご覧ください。読み応えがあります。
https://www.houzenin.jp/rekisi/index.html
徳川家康は自身の拠点である駿府(静岡市)と江戸を行き来するのに、東海道よりもショートカットのできる中原街道を好んで利用していたそうです。
中原街道の始まり
中原街道の始まりの場所には高札場跡があり、丁寧に管理されています。
画像:江戸方面へ向かう中原街道
中原で醸造されたいた御酢を江戸まで運んでいたことから「御酢街道」とも呼ばれていたそうです。
まだまだ奥が深そうな平塚市中原。
交通量が多い場所なので、車に注意しながら街歩きを楽しんでみてください。